Wonderful Life with a Boy

41歳で初産。がっつりめに働きながら男の子を育てる毎日の気づき。

産休に向けた仕事の引継ぎ

メンバーに妊娠の事実を伝えたのが産休まで残り5か月の頃。

そこから私が抱えている業務全ての引継ぎは始まった。

 

私は管理職だが、当時のチームメンバーは社員5人とインターン2人。

会社が設立から年数が少なく、

スタッフがここ1年で急に増えたというのがあって、

私のチームは、ほぼ全員が入社1年以内だった。

みんな予想外のことに驚いた様子だったが、じたばたしてもしょうがない。

まだ5か月ある。なんとかしようと開き直る。

 

この段階では、まだ全員が完全に自律化している状態とは言い難く、

その上、私が単独で担当しているプロジェクトもいくつかあった。

 

目標は5か月で完全自立し全員をリーダーにする。

私がいなくてもチームが十分回る状態にするのだ。

 

そこで、私がやったことは、おおむね以下のような感じ。

 

1.個人プロジェクトに担当を割り振る

私が単独で担当しているプロジェクトはすべて、

他の担当を決めて、一つ一つ振っていくことにした。

社内外の関係者に引き合わせ、しばらくは伴走するが、

いずれひとり立ちしてもらう。

プロジェクトのステータスや各関係者の立ち位置、

課題感や今後の仮説などを共有した上で

2回目以降のミーティングは仕切りを任せるようにし、私の関与を減らしていく。

 

2.無理矢理、無茶ぶる

経験の浅いメンバーには一通りのことができるようになってもらうために

できる限りチャレンジの場を与えて、

とりあえず不完全でもいいからやってみるんだと促す。

私はもういなくなるんだからね、と半ば脅し気味に。

 

私自身の経験を振り返って、自分が成長したなと感じたのは、

結局、上司に無理めの仕事を無茶振りされて突き放され、

追い込まれながらどうにかこうにかそれに食らいついていったとき。

きついダメ出しをうけまくり、ダメージを受けながらも

なんとかせねばと頭をひねったとき。

 

これは酷といえば酷だが、

若い人が短期間で成長のためには有効であるとは思う。

最近は流行らないやり方なのかもしれないし、

相手は単に「詰められた」と受け取ってしまうかもしれないので

正直、やり方が難しいのだけど。。。

 

実際、これですごく成長したメンバーもいたし、

内心、結構きついと感じたメンバーもいたようだ。

 

3.マネジメントの役割を期待する

相対的にシニアなポジションのメンバーには、

私の代わりに、ジュニアメンバーの相談相手になるように期待した。

産休に入る1か月くらい前の段階で

シニアメンバーに期待を伝え、それに対してがんばりますと受けてくれたが

メンバー間の個人的な感情や関係性は想像以上に複雑で、

結果、うまくいったとは言い切れなかった。

もっと早い段階からその役割を意識させ、

フォローしていくことが必要だったかもしれない。

 

4.人と仕事をセットで他部署に引き渡す

一方うまくいったのは、あるメンバーに関して

担当している仕事ごと他部署に引き取ってもらったことだ。

もともと、いずれそんな日が来ることを前提に進めてきたプロジェクトだった。

担当者にはいずれ他部署と統合するのだよと予言し続け、

時間をかけて、プロジェクトのゴールや進め方を

引き取り先の部署にとってメリットがあるかたちにもっていくことを意識した。

私が産休に入る1か月前の人事異動で、メンバーと業務は移管された。

本人は私の管理下を離れ、異動先でより活躍できるようになったと思う。

 

 

果たして5か月の後、産休直前、私が手を動かさなければならない業務は

ほとんどなくなっており、心置きなく休みに入ることができた。

 

職場に迷惑を掛けず、そしていずれワーキングマザーとして戻ってきたいと思うなら、

引継ぎは計画的に、じっくり時間を掛けるべし。

 

むしろ、この機会に、マネージャーは実務から手を離し、

権限を委譲していくことを志向すべきだと思う。

 

振り返ってみると、私のマネジメントスタイルは、

産休育休の前後でだいぶ変わったように思う。

産休に向けてキャリアについて考えたこと

産休は一般的に、

出産予定日前の6週間(双子など多胎の場合は14週間)、出産後8週間だ。

会社によってはもっと長い産休を認めているケースもあるようだが、

ごく一般的な企業では法定の産前6週、産後8週を産休としている。

 

私もきっちり予定日6週間前から産休を取得することにした。

当初は、その気になれば出産直前まで働くことができるのかもしれないと

思っていたが、実際には、重なる体のマイナートラブルだったり

通勤のきつさだったりで、

産休の直前頃には、休めるものなら休みたいというテンションになっていた。

 

私の思惑では、産休が終われば翌3月末まで育休をとって、

4月に子どもを保育園に預け、仕事復帰というのが理想的なパターンだった。

そう思った通りにいくか分からなかったが、

出産前、一応の計画をそのように立てた。

 

その場合、産休・育休を合わせて約8か月の休み。

社会人になって以来、こんなに長く仕事をしないのは初めてのことだ。

 

出産も、その後の育児も大仕事であることは分かっているが、

そんなに長く外で働かないなんて、いったいどんな感じなのか、

にわかにつかめず戸惑ってしまう。

 

ともあれ、産休、そして出産は日々近づいてくる。

戸惑っている場合ではなく、

それに向けて、そしてその後に向けて準備しなければならない。

 

 

このタイミングで、キャリアに対して私が決めた方針はこうだ。

 

1.産休に入る段階で現在の仕事をいったんすべて手放しリセットする

私が勤める会社は創業から年数が浅く、急成長を続けている。

そのため、すごいスピードで事業も組織も変化している。

半年も経てば、会社はまったく違うものになっていると言っていい。

8か月も仕事を休んで復帰すれば、

浦島太郎状態になることは想像にたやすい。

今やっている仕事が8か月後にあるかどうか分からないし、

8か月後に再び私が担当することが会社にとってベストかどうかも分からない。

なので、今やっている仕事、これまでやってきた仕事は

基本的にすべて手放し、執着しない。

8か月後、私は会社にとって必要な仕事をやるのみと決める。

 

2.後任者の負荷をできるだけ下げ、自律的なチームにした上で引き渡す

私は管理職で、チームメンバーをマネジメントする立場にある。

現実問題として、産休・育休中の後任者は必要だ。

マネージャー不在ではメンバーたちが困ってしまう。

かといって、会社には育休の穴を埋めるために人を採用するなんていう余裕もない。

担当者ならテンポラリーもありうるが、管理職となれば特に難しい。

なので、現チームメンバーの誰かしらが私の代行をするか、

他部門の管理職が兼任するというかたちに収まるのが妥当な感じだった。

 

しかし、社内を見渡してみて、

私がやっていることをまるっと任せられるような業務経験を持つ人はいない。

 

なので、チームメンバーが細かいマネジメントがなくても

自律的に動ける状態を作り、後任者のマネジメントコストを下げる必要があった。

 

3.産後、自分がどう働くかは自分自身で描き実行する

産後、何が起きるか、自分がどんな状況下に置かれるかは

想像しようとしても限界があった。

 

しかしどんな状況に置かれても、

それが私側の問題であっても、会社側の問題であっても

どうとでもなる、どうにかするという心持でいく。

 

私は、会社で初めて育休から復帰する社員になる見込みだった。

つまり前例がない。

 

子どもをもって働く女性社員は既に何人かいたが、

いずれも、うちの会社に入社以前に出産し、産休や育休を取って復帰していた。

会社としては、社員が産休や育休を取ること、

そこから復帰して乳児を抱えながら働くというのがどういうことか、

私自身が予想できないのと同じように、予想できなかった。

 

なので、会社が先回りして何らか対応してくれることを期待してはいけない。

私がどうすれば働きやすいのか、どうすればパフォーマンスを出せるのかは

私が自分で考えて、会社に対して提案する必要がある。

働く時間、場所、責任の持ち方、他者との関わり方、

すべて自分が前例にならなければいけない。

 

そう聞くと、プレッシャーに思う人もいるかもしれないが、

私にとって、それはとても楽しみなことだった。

なぜなら私は、自分がそういうチャレンジをすることを

子どもを持つことに付随する一つの面白さとして想定していたからだ。

 

私だったらどうするか。

不安よりも期待の方がずっと大きかった。

 

 

子どもを持つということと働くこと

子どもを生んでも働く。ということに対して迷いが生じたことは一度もない。

物心ついたときから、実際に子どもを生んで働いている今日この日まで、

子どもを持つことも、仕事をすることも、

私の人生にとってあまりに当たり前のことであって

その両立はできるかどうかと考える以前に

ないことが想像できないというくらいのファクターだ。

 

といっても、子どもを持つというのは

望んだからといって、努力したからといって

必ず得られることではない。

 

自身とパートナーの体の問題もあるし、

妊娠や出産が可能な時期までに、

私との子どもを持ち、一緒に育てていくということに同意してくれる

パートナーを得られるのか、という問題がある。

 

私の場合は、後者の問題が大きく、

いずれ、あるいはできるだけ早く子どもがほしいと思いながらも、

長年、パートナーがいない、結婚していないという問題が立ちはだかっていた。

今の世の中、結婚せずに、場合によっては精子の提供を受けて

シングルマザーになるという選択肢もないわけではないだろうが、

その道を積極的に選ぶ気持ちはなかった。

できるなら、信頼できるパートナーとともに、

子どもを育てるという人生を得たかった。

もちろん、結婚できるなら相手は誰でもよい、という考えもない。

 

結婚や出産が遅いと、キャリアや自由を優先したというように思われたりするのだが、

自分ではそんなつもりは全然なくて、

ただただ良いパートナーに巡り合えなかったというだけのことだと考えている。

なんなら、良いパートナーに早く出会うために私なりの努力をしていたつもりだ。

その努力のやり方が正しかったかどうかは別にして。

(おそらくある時期まで正しくなかった。結果、婚期が遅れた)

 

ともあれ、時期は思った以上に遅れたものの、

子どもを持つという人生の重要なファクターを得ることが叶ったわけで、

これは私が望む人生である、望んだ選択であるという気持ちが強い。

そして、その上で仕事を続けるという道も、私自身の選択。

それが自分で選んだものである以上、

子育てにおいても、仕事においても、

どんな困難も、どんなトラブルも、どんな想定外も、

あらゆることを受け入れ、肯定できる。そう思う。

妊娠中に困ることあるある

妊娠中に困ること。

小ネタ的に、あるあるをいくつか。

 

頻尿。

子宮が大きくなって膀胱が圧迫されるせいだそうだが、

とにかく尿意が頻繁に起こる。

その頻度、20分に1回くらい。

夜中も目が醒めるし、仕事中もしょっちゅうだ。

 

爪切り。

大きくなったお腹が邪魔になって、足の指が見えないので、

爪切りさえままならない。

太ってお腹が出た人は爪切りがしにくいという話を聞いたことがあるが

こういうことかと。

 

階段が怖い。

同じくお腹が邪魔で足元が見えない。

よって階段を上るとき、降りるとき、すごく怖い。

できれば階段の昇降自体をしたくない。

 

雨の日が怖い。

マンホールのふたとか駅のコンコースの濡れた床とか、

交差点の歩道の端のわずかな傾斜とか。

つるっとすべる。びっくりするほどすべる。

怖い。本当に怖い。

 

すぐに息が切れる。

ちょっと動くだけ、歩くだけ、坂を上がるだけで疲れて息が切れる。

体が重いというのが一番だが、内臓が圧迫されているというのもあると思う。

 

眠い。

すぐに疲れて眠くなる。

胎動のせいで、夜中の眠りが浅いというのもあるだろう。

とにかくもろもろきついし、ごろんと横になって昼寝がしたい。

 

そんなこんなで、

人によっては、妊娠生活の幸福感を何度でも味わいたいと言うが、

私は、早く出産して早く妊娠中の苦痛から解放されたかった。

もちろん、正産期まではしっかりお腹にいてもらいたいけれど、

正産期に入ったら1日も早く生まれてくれたらいいというのが正直な気持ちだった。

 

 

妊娠中の健康診断

30歳を過ぎてからは、会社の定期健康診断で、

毎回半日人間ドックと婦人科健診を受けるようにしている。

 

妊娠4か月の時、その年の健康診断のシーズンが来たが、

妊娠中は多くの検査が受けられない。

 

体重、体脂肪率の計測は意味がない。

胸部X線、胃部X線マンモグラフィ胃カメラ放射線の影響があるのでNG。

子宮頸がん検査は妊婦健診に入っているので終えたばかり。

 

そんなわけであまり検査の意味がなさそうなのだけれど、

ただ一つ、乳がん検査だけは受けておこうと。

マンモグラフィはダメだけれど、乳房エコーなら受けられる。

 

愛育病院でも、初回の健診時に乳がん検査を受けることを勧められるが、

保険適用外で10,000円(税抜き)も掛かる。

それが会社の健康診断なら無料だ。

 

妊娠中にがんが見つかって、出産するまで治療することができず

亡くなった、みたいな話をいくつも聞いたので、

ここは妊娠初期のうちに必ず受けておきたかった。

 

妊娠中だから受けないんじゃなく、

妊娠だからこそちゃんと健康診断。

 

妊婦の体の問題は、同時に胎児の問題なわけなので。